イラク戦争が勃発する半年前の2002年9月、私は、イラクの首都バグダッドにいた。サダム・フセイン大統領(当時)の従兄弟で、情報副大臣を務める政府高官にインタビューを行うためだ。約1カ月に及ぶバグダッド滞在で、度重なるインタビューが無事終了すると、私は、イラク政府の許可を得て、国内各地を見学することにした。
アメリカとの戦争が既に予想され、滞在中、CNNでブッシュ大統領(当時)の攻撃的な発言が放映される度に、ピリピリとした緊張感がイラク国民を襲うなかでの国内旅行だ。
フセイン政権下では、外国人ジャーナリストの行動には厳しい規制が掛けられていた。許可を得たと言っても、実のところ、私には情報省の役人がガイド兼通訳という名目で同行し、監視されていたのだ。
私が目的地として申請したのは、それまでの秘境添乗員やジャーナリストとしてイラクを訪問した際には見学できなかった、イラク博物館と、バグダッド内外に点在するイスラム教、キリスト教、イラクとイランの伝統宗教であるサービア教の聖地群である。
私たちが、バグダッド市内にある、ネストリウス派キリスト教「古代東方教会」の総本山「セレウキア・クテシフォン使徒座」を訪れたときは、ちょうど日曜学校の卒業式が行われるところだった。
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ネストリウス派キリスト教といえば、紀元後5世紀に東ローマ帝国で異端派とされたため、中心を帝国外のササン朝ペルシャに移し、のちに、中央アジアとインドに教勢を伸ばし、7世紀にはついに中国に至り「景教」と呼ばれた宗派。9〜14世紀にかけては、世界で最も広範囲に教線を伸ばしたキリスト教である。しかし、その後は、歴史に翻弄されるなかで縮小を余儀なくされ、ネストリウス派を継承する現在の古代東方教会は、イラクを中心に中東、欧米、インドに約7万5千人の信徒がいるにすぎない。そして、古代東方教会は、本拠地のイラクでさえ、総人口の3%に過ぎない「イスラム教以外の諸宗教(キリスト教諸派など)」のなかの、更に少数派なのである。
お会いしたのは、第121代カトリコス東方総主教(最高指導者)マル・アッダイ2世だった。総主教は、「良かったら、卒業式にお立ち会いください」と、気さくに私たちを教会に招き入れてくれたのだ。それだけではない。大ホールの約百人の子供たちを前に、総主教はその右隣の席を私に勧めてくださったのである。会場は騒然となった。一体、総主教様の隣のモンゴロイドは何者なのかと。
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卒業式は、賛美歌の合唱や、代表による総主教への感謝と進み、クライマックスである卒業証書授与式となった。卒業生一人一人が前に歩みでると、総主教はかがみ込んで優しく声を掛け、卒業証書とお菓子を手渡すと、握手をしてから頬にキスをした。私は、子供たちの緊張と恥ずかしさと歓びが入り交じった純粋な表情と、総主教が満面の笑みを浮かべながら一人一人に接する姿に、心温まる思いで見入っていたのだ。
ところが、ある程度までくると、総主教は突然後ろを振り返り、私にも「やってみろ」とでも言うように手招きをされたのである。私は期せずして、総主教様の代理として卒業証書を授与することになった。見よう見まねで、「おめでとう!」とアラビア語で声を掛け、最初の女の子に卒業証書とお菓子を手渡した。そして、握手をしたまでは良かったが、相手も私も、果たして総主教様へのあいさつと同じように、頬にキスしてよいものかどうか、しばし見つめ合ったまま固まってしまったのだ。結局は、失礼に当たるといけないと、キス抜きでの授与を続けることにした。子供たちはガッカリしたに違いない。せっかく総主教様に握手やキスをして頂けると思ったら、突然、どこの馬の骨だかわからない私に取って代わられてしまっ� ��のだから。
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しかし、戦争の足音が高まるなか、私は、「どうか、この子供たちが無事に生き延びられますように」と、一人一人に祈り込め、翌朝、筋肉痛で頬が痛くなるほど、精いっぱいの笑顔で歓びを伝えながら、手渡していったのである。
あれから8年経った本年の10月、朝日新聞紙上に「受難、中東キリスト教徒 武装組織暗躍、殺害相次ぐ」と題する記事が掲載された。フセイン政権崩壊後、イラクでは、異教徒を敵視するアルカイダ系テロ組織が勢力を増し、キリスト教徒は暗殺や誘拐の対象となったというのである。米国務省の09年版の報告書によると、「03年に80〜140万人だったイラクのキリスト教徒は、50万〜60万人に減った」というのだ。キリスト教徒は、次々とイラクからシリアに逃げ、更に、欧米への移住を希望しているという。
私は今回の記事を執筆するにあたり、YouTubeで検索を掛けてみた。すると、今年3月に投稿された映像に、「殉教した(暗殺された)」4人の信徒の葬儀を主祭するマル・アッダイ2世総主教の姿が写っていた。泣き叫ぶ女性たち、不安そうな男性信徒たちに囲まれて、同師は淡々と葬儀を執行していた。
古代において異端派として非難され国外脱出することから始まったネストリウス派は、歴代支配者による度重なる迫害、蔓延する疫病、更には、イスラム教や同じキリスト教のカトリック、ロシア正教会やプロテスタントの「布教」による集団離脱で、その数は激減した。そして、現代においても、フセイン政権の圧政と度重なる戦争の中、命がけで信仰を護り続けてきたあの心優しい人々は、今また、新たな存亡の危機に立たされていたのである。
注:ネストリウス派を継承する宗派は、他に、アメリカ・シカゴに拠点を置く「アッシリア東方教会」がある。
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