序章〜2章までが総論、3〜8章がそれぞれ異なる病気・障碍についての記述になっている。
私が今のところ「当事者」と言えるのは、第4章の精神障碍者のみだけど、それ以外のところにも共感できるところ、学べるところがたくさんあった。
* * * * * * *
【序章】脱援助と、絶えざる言い換えの努力(田垣正晋)
この本は、援助専門職を目指す学生や、援助職とかかわりを持たざるを得ない障害者を読者として想定している―――とあるが、そのすぐ後に、「筆者自身は、脱援助の立場を徹底する障害学のほうに親近感を持っている(P.16)」とあってちょっと困惑した。
「脱援助」って何?と検索したら、田垣氏の論文(PDF)を発見。「援助というのは、そもそも障害者を弱い存在と見なしている」という指摘、それに対する違和感も、なるほど理解できる。
【第1章】社会における障害とは何か(田垣正晋)
この章は勉強になった。
障碍者問題に詳しい人なら知っているのかもしれないけど、私には初めて知ることもあった。そのうち3つだけピックアップ。
[個人モデルと社会モデル]
障碍に関する考え方は、大きく「個人モデル」(医学モデルとも呼ばれる)と「社会モデル」の二つに分けられる。
「個人モデル」は、障碍を個人の身体機能や欠損の問題として捉え、治療やリハビリによって問題解決することを目指す。
一方「社会モデル」では、問題が社会制度の方にあるとする。
「個人モデルと社会モデルの統合」が、これからの障碍者福祉の課題となっている。
詳しいことは下記のサイトを。
■社会参加を促進するツールとしてのICF
この「個人モデル」と「社会モデル」の話、障碍者だけでなく、社会全体の問題だと思うので、できればみんなに知ってほしいところです。
どのように人々は100年前に学ぶか
[自立]
「障害者自立支援法」のように、近年、障碍者領域で「自立」という言葉が多用されるようになった。でも、その「自立」にこめられる意味は複数あって、曖昧な概念になってしまっている。
一般的には、自立とは「身辺動作の自立」や「経済的自立」として捉えられている。
でもここでは、そうではない例が挙げられている。「身体障碍者が自ら介助者をコーディネートし、親元や施設から離れて一人暮らしする」という意味での「自立」だ。
障碍を持った人が、仕事や教育や余暇といった社会生活に参加できるようにするという、QOL(生活の質)を重視するあり方。そういう意味での「自立」もあるんだ。
[ノーマライゼーション]
「障碍者の生活を普通にする」ことを推進する「ノーマライゼーション」。障碍者の置かれている劣悪な状態を改善する、という面では有効だった。
だが、何をもって「ノーマル」とするのか、一律ではない。だから「ノーマライゼーション」を金科玉条としてしまうと、「障碍者が健常者に合わせること」ばかり重視することになる。「ノーマライゼーション」ということばがスローガンとして一人歩きすると、ある種の障碍者にとってはかえって抑圧になる危険性があるということ、これは私も実感しているところだ。
長くなったので、ここから折り畳みます。
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