2012年4月10日火曜日

田垣正晋 『障害・病いと「ふつう」のはざまで』 その2 | 身近な一歩が社会を変える♪


遅くなりましたが、前回の続きで『障害・病いと「ふつう」のはざまで 〜軽度障害者どっちつかずのジレンマを語る』の各章それぞれの短い感想。

序章〜2章までが総論、3〜8章がそれぞれ異なる病気・障碍についての記述になっている。
私が今のところ「当事者」と言えるのは、第4章の精神障碍者のみだけど、それ以外のところにも共感できるところ、学べるところがたくさんあった。

   *   *   *   *   *   *   *

【序章】脱援助と、絶えざる言い換えの努力(田垣正晋)
この本は、援助専門職を目指す学生や、援助職とかかわりを持たざるを得ない障害者を読者として想定している―――とあるが、そのすぐ後に、「筆者自身は、脱援助の立場を徹底する障害学のほうに親近感を持っている(P.16)」とあってちょっと困惑した。
「脱援助」って何?と検索したら、田垣氏の論文(PDF)を発見。「援助というのは、そもそも障害者を弱い存在と見なしている」という指摘、それに対する違和感も、なるほど理解できる。

【第1章】社会における障害とは何か(田垣正晋)
この章は勉強になった。
障碍者問題に詳しい人なら知っているのかもしれないけど、私には初めて知ることもあった。そのうち3つだけピックアップ。

[個人モデルと社会モデル]
障碍に関する考え方は、大きく「個人モデル」(医学モデルとも呼ばれる)と「社会モデル」の二つに分けられる。
「個人モデル」は、障碍を個人の身体機能や欠損の問題として捉え、治療やリハビリによって問題解決することを目指す。
一方「社会モデル」では、問題が社会制度の方にあるとする。
「個人モデルと社会モデルの統合」が、これからの障碍者福祉の課題となっている。
詳しいことは下記のサイトを。
■社会参加を促進するツールとしてのICF
この「個人モデル」と「社会モデル」の話、障碍者だけでなく、社会全体の問題だと思うので、できればみんなに知ってほしいところです。


どのように人々は100年前に学ぶか

[自立]
「障害者自立支援法」のように、近年、障碍者領域で「自立」という言葉が多用されるようになった。でも、その「自立」にこめられる意味は複数あって、曖昧な概念になってしまっている。
一般的には、自立とは「身辺動作の自立」や「経済的自立」として捉えられている。
でもここでは、そうではない例が挙げられている。「身体障碍者が自ら介助者をコーディネートし、親元や施設から離れて一人暮らしする」という意味での「自立」だ。
障碍を持った人が、仕事や教育や余暇といった社会生活に参加できるようにするという、QOL(生活の質)を重視するあり方。そういう意味での「自立」もあるんだ。

[ノーマライゼーション]
「障碍者の生活を普通にする」ことを推進する「ノーマライゼーション」。障碍者の置かれている劣悪な状態を改善する、という面では有効だった。
だが、何をもって「ノーマル」とするのか、一律ではない。だから「ノーマライゼーション」を金科玉条としてしまうと、「障碍者が健常者に合わせること」ばかり重視することになる。「ノーマライゼーション」ということばがスローガンとして一人歩きすると、ある種の障碍者にとってはかえって抑圧になる危険性があるということ、これは私も実感しているところだ。

長くなったので、ここから折り畳みます。


【第2章】軽度障害というどっちつかずのつらさ(田垣正晋)
この章は、前回の記事で紹介した内容なので、ここでは割愛。

【第3章】知的障害のある人が地域生活をするための見方とかかわり――地域に根ざした支援に向けて(古井克憲)
知的障碍者の支援について。
知的障碍のある人を「病気や欠陥のある人」ではなく、「可能性を持った人」として捉えるようにすること。そうすることによって、必要な支援の内容も異なってくるということ。
それについては、P.80の表を見ると一目瞭然で、得るものが大きかった。


APA形式の注釈付きの書誌を記述する方法

【第4章】物語としての精神障害――本人の語りを中心に(稲沢公一)
ここは、統合失調症の当事者として読んだんだけど、何ともビミョーな気持ちになった。80年代、90年代、ゼロ年代の当事者の語りを比較しているんだけど……80年代までの、精神障碍者の置かれている状況は悲惨だったんだなあ。
精神障碍者とは、「正常な社会生活を破壊する危険のある」人間と定義されていて、本人の意志に関わりなく強制入院させてきたという歴史。
精神障碍者をめぐる環境は、今はかなり改善されていると思う。
それでもこういう話を聞くと、自分も80年代に発症していたら、強制入院させられて一生を病院で過ごしていたのかもしれないな、と思うと胸が苦しくなる。

【第5章】顔に違いがあるということ――先天的な変形を中心にして(松本学)
先天的なVD(身体的変形)、ここでは特に顔の変形を取り上げている。
この章も共感しつつ読んだ。
私もアトピーという「外見」に表れる持病をもっているので。
もちろんこの章で取り上げられるような「顔の変形」と比べたら、障碍とは言えないくらい「軽度」なんだろうけど……「化粧ができない」とか、女性としては社会的なデメリットが結構あると、これまでずっと思ってきた。
この章の内容では、とりわけ「重度のVDのほうが軽度のVDよりも親子関係が安定する」という報告がある(P.137)というあたりに、考えさせられた。軽度であるがゆえの困難、というのも存在するのだ。

【第6章】「実態」としての障害と「問題」としての障害――脳損傷による高次脳機能障害(赤松昭)
「高次脳機能障害」とは、交通事故や脳疾患で、脳に損傷を受けたときに生じる精神障碍のこと。
2000年代に新しく「障碍」として認められるようになった分野で、90年代には、生活上の不便があっても「障害者手帳」を取得できなかったという。
こういう「生活上の不自由があるのに、医学的に障碍と認められていない障碍者」は、「制度の谷間」にあって、福祉サービスを受けられない。そういう話は以前少しブログに書いたことがある。

それについて筆者は、「人間を全体的に捉えること」の必要性を主張している。その部分を引用しておく。


カルチャーショックの旅
 こうした当事者にとっての「谷間」ということばを、生活支援の立場から捉えなおすと、そこに浮かび上がってくるのは、人間を「全体的」に捉え、その「主体的側面」(人の生活にかかわる複数の制度を個人の側から一体的に捉える視点)に着目する視点と実践の必要性だ。(P.177)
私もまったく同感です。ただ、現実の政策は、なかなかそういう方向には進んでいないみたいだけど。

【第7章】軽度発達障害をめぐって(今泉佳代子)
軽度発達障碍とは、知的機能の障碍を伴わない発達障碍のこと。アスペルガーやADHD、LD等、近年有名になったものだ。
この軽度発達障碍こそ、健常者と障碍者の中間、グレーゾーンに位置する障碍者の代表みたいなものだと思う(前回引用した自閉症スペクトラムを参照)。
私も数年前にアスペルガーという障碍を知って、自分もそうかもしれない、と考えるようになったこと、自閉症スペクトラム指数自己診断テストで40点という高得点だったことは、以前少し書いた。
アスペルガー症候群とは、(1)他の人との社会的関係を持つこと、(2)コミュニケーションをすること、(3)想像力と創造性の三分野に障害を持つもの(P.186)とここでは書かれている。

ちょっと疑問に思ったのは、この章では「自分の障碍を理解することによって、気持ちが楽になり、人生を前向きに捉えることができた」という例ばかり紹介されているところ。
というのも私自身は、たとえ自分がアスペルガーと正式に診断されたとしても、それで自分が救われる、とは思えないからだ(他にいっぱい病気があるからだけど)。
発達障碍については、当事者でもある高森明氏のブログ「グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論」がめちゃめちゃ面白いから、興味のある人は読んでみて。

【第8章】慢性の病気にかかるということ――慢性腎臓病患者の「病いの体験」の一考察(今尾真弓)
この章で取り上げられているのは腎疾患だけど、そうでなくとも慢性疾患をもつ人なら、共感できるところがあると思う。
とりわけ、病気・症状の「あいまいさ」というあたり。

筆者による慢性疾患の特性とは、次の4つ。
(1)死には直結しないものの、完全な治癒は難しい。
(2)病気の経過が長く、場合によっては生涯にわたる。
(3)急性疾患と対置される。
(4)病気の予後は不明確である。つまり、悪化と寛解を繰り返し、なかには緩やかに進行していくものもあり、それを予測することは難しい。


この章では、当事者の語りがたくさん引用されているのだけど、その中で「死」を意識する語りが見られたのが、印象的だった。慢性疾患は、「死」には直結しないのだけど、「死」を意識してしまうという、その気持ちは私にもよくわかる。

それから、とりわけ共感したのは、「症状がわかりやすいものならいいんだけど、疲れやすいとかそういう漠然としたものだと、自分でもどうすればいいのかわかりづらい」という語り。
そう、「疲れやすい」とか「体力がない」という状態、なかなか理解されないんだけど、結構重要なポイントだと思う。
頑張って「ふつう」の人と同じように行動すると、反動がきて、大きなダメージを受けるということ。自分で行動を制限しないと、病気が悪化してしんどい思いをするということ。
この「疲れやすい」「人よりも体力がない」という問題は、もっと語られてもいいんじゃないだろうか。

   *   *   *   *   *   *   *

この本の序章〜2章、5、6、8章の著者は、軽度障碍の当事者だ。
章末にそれぞれの著者のコラムがあるんだけど、「障碍当事者でありながら、障碍研究をしていることへの居心地の悪さ」みたいなことを語っていたのが、興味深かった。

あとひとつ個人的にリクエストしたいのは、「重複障碍」という概念も付け加えてほしい、ということ。
一つ一つの障碍は「軽度」でも、それを複数持っていたら、困難はそれに比例して大きくなる。
でも、現在の障碍者福祉制度は、そういう人を想定していない。
もし「身体は障害者であっても、精神は障害者ではない」という言説(P.33)が受容されるとしたら、身体・精神両方に病気を持つ人間としては悲しいことだ。

―――と、ここまで書いてきて、この本はやっぱり良くも悪くも「学術書」だな、思った。
「あるべき障碍者施策」を論じることはできるけれども、現実が追いついてこない。十年後、二十年後には、少しは変わるのかもしれないけど。
だとしても、これだけ様々な種類の「障碍」があって、それぞれ個人によってニーズが異なる場合、どこまで行政が対応できるのだろうか。
「行政には何ができて、何ができないのか」を、当事者としては考えざるを得ない。

私にとって、この軽度障碍者問題は、これからも当事者として考える―――というよりも、それを引き受けて生きていかなければならないテーマだ。
まずは、これまであまり知られていなかった分野に光を当ててくれた著者に、心から感謝したい。



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