「バイステックの7原則を考察する」
はじめに
対人援助技術のもっとも基本的、かつ根本的な原則である「バイステックの7原則」。
これはアメリカのケースワーカーフェリックス・P・バイステックが『The Casework Relationship(日本語訳:ケースワークの原則)』にて著した概念で、現在においては最も基本的なケースワークの作法として認識されている。しかしいつの間にかバイステックの7原則は「行動原則」としてではなく「理念」として、あるいは「道徳的概念」になってきている。
したがってバイステックの7原則は「対人援助職者」にとっての行動(支援活動)の基本原則であり、この原則に沿って、原則に沿った活動をしていかなければ支援の効果を得ることができない。これはケアマネジャーであっても同様に適切な支援のためには当然にこの原則を理解し、かつ実践応用できていなければ仕事にならないものだ。
本稿ではバイステックの7原則が求めている意義から原則に沿った活動をどのようにしていく必要があるのかを考察していく。
1.原則1:個別化
クライアントの抱える困難や問題は、どれだけ似たようなものであっても、人それぞれの問題であり「同じ問題(ケース)は存在しない」とする考え方。この原則においてクライエントのラベリング(いわゆる人格や環境の決めつけ)やカテゴライズ(同様の問題をまとめ分類してしまい、同様の解決手法を執ろうとする事)は厳禁となる。
わかりやすい例を挙げるとしたら・・・
新規の利用者Aさんは、心身の状況も家庭環境も過去に関わったBさんにそっくりだ。ならばAさんはきっとBさんと同じようなニーズがあり、同じような支援をしていけばよいのだから詳しくアセスメントしなくても大丈夫だな。
⇒結果としてAさんに必要な支援ができずにAさんから苦情が寄せられ、最終的には契約解除になった。
新規の利用者Cさんは寝たきり状態にある。だから寝たきりにならないようなリハビリを支援に組入れたり、家から外出するような支援を組入れていくことが必要になる。ならばリハビリもでき、外出もできる支援として通所リハビリテーションを進めてみよう。
⇒結果として体調不良を起こして入院した。体調不良の原因は外出をする事による負担の増加であった。
最初の事例ではAさんとBさんとを「同じような人」だと判断した。結果としてAさんが望んでいる支援を提供することがなくなった。いくら過去に係った人に「似ている」と入っても決して同じではない。ある一部分が「似ている」といってもその部分だけで、異なる部分は必ずある。なぜならば生活環境や生活暦、育った条件などは当然に異なっている。現在は過去の延長線上にあり、その延長線上に生来が存在している。この時系列に沿った「歴史」を無視した支援やアセスメントには意味がない。
次の事例ではCさんという「人」を見ているのではなく、「寝たきりの人でありこもりきりの人」としてとらえている。したがってCさんがどうのではなく、一般論に基づいて支援を考えていった。その結果としての体調不良をもたらしたことになる。
また、このような「ステレオタイプ」の発想は極端な例ではない。「自立支援=リハビリ」という発想は現任のケアマネジャーの中ではよく見られていることだ。手段と目標とを取り違えた対応の原因は「個別化の原則」に反した対応の結果であると言える。
「個別化の原則」は極めて当たり前のことであるが、その奥はかなり深いものである。特にステレオタイプの発想が個別化の原則に反しているということを実践していくことはかなり難しいことになる。しかしこれを行わない限りは個別支援は実践することができないのだ。
そしてこの「個別性」の把握のためにはICFモデル図の活用が有効になってくる。
2.原則2:「受容」
受容
クライアントの考えは、そのクライアントの人生経験や必死の思考から来るものであり、クライアント自身の『個性』であるため「決して頭から否定せず、どうしてそういう考え方になるかを理解する」という考え方。この原則によってワーカーによるクライアントへの直接的命令や行動感情の否定が禁じられる。
「クライアントの気持ちを『受容』しなくてはならない」という表現をよく用いるが、受容をするということは決してやさしいものではない。
受容によく似た表現としては「罪を憎んで人を憎まず」というものがある。罪を犯してしまった人は悪いことは悪いのだが、罪を犯さざるを得なかった背景や経過についてよく考えていくことが必要なのだ、という考え方だ。
受容についても表面化している課題や困難性について、その原因が仮にクライアント個人の価値観や生活歴に起因しているものであったとしても、それを「そのまま」の形で一つの情報として把握をするとともに、その価値観や生活歴を否定しないし、ましてや非難したりしないという援助者の姿勢を現している。
参考文献リストを書き込む方法
得てして援助者は自身の価値観に反するクライアントの考え方や価値観に対してそれを是正しようとする。特にその課題が健康に関する事柄であれば「そういう行いをしていると健康の維持にとってマイナスにしか働かないから修正する必要がある」という言動を採る。このとき「マイナスにしか作用しない」という判断は、クライアントのこの行動の背景にある様々な要素を確認し、それがどのように作り上げられてきたのかに関係なく、一般論(一般常識)と比較して判断し、口に出しているに過ぎない。ある人には一般論が通じるかもしれないが、目前のクライアントにも通じると言う判断は間違っている。
「受容をする」ということは「健康に反する行動をしている」「健康に反する価値判断基準を持っている」ことを確認し、なぜこのような行動や価値判断基準を有するに至ったのかを解明し、そのプロセスを明らかにした上で、それに沿った支援を展開するようにしていくことが求められていることになる。
したがって「受容する」ということは「利用者の言いなり」になることともまた異なる。言いなりになるのではなく、背景を解明することで、そして背景に沿って支援をしていく中で、どこをどのように支援することによって表面的な課題や困難性を解決していくことができるのかを考えていくことである。言いなりになって、そのままいうとおりにしていくこととは根本的に異なる。
具体的な例示をして「受容する」ということを考えてみよう。
あなたがクライアントで、業務上好ましくない問題を抱えている。その問題の原因はあなたの知識の不足に起因するものである。
このようなとき、上司からあなたは「お前はこんな基本的なことも知らないのか!」と叱責された時、あなたはどんな感情を抱くだろうか。
あるいは「基本の「き」も知らないでよくこの仕事が務まるな!一から勉強しなおして来い!」と言われたら?
決して愉快ではないだろう。自分の存在の全てを否定されてしまったように感じるかもしれない。
ではこんな事例ではどうだろうか。
あなたは糖尿病を患っている。主治医からは食事のそうカロリーの制限を指示されている。しかしあなたは若い頃からグルメで、美味しいものを他別ことが大好きであった。そのために糖尿病になったようなものだ。したがって主治医の指示も守ることは難しくて、ついつい食べ物に手を出してしまう患者だ。
そんなあなたに看護師が「糖尿病を悪化させないためには食べるものを我慢して、主治医の指示に従った食事制限していかなければいけません」と言った。
このときにあなたはどう感じるだろうか?
健康に関することだから「その通りだ」と反省して制限を守ろうと思う。
健康に関することであっても「やかましい」と反論する。
このようなときにもクライアントの心理や価値基準がどのように作り上げられてきたのかを把握して、そのプロセスを「受け入れた」上で、これからどうして行けばクライアントの気持ちにも沿った支援をしていかれるかを考えることができるか。その出発点が「受容」となる。
そしてこの受容は、「できていると勘違いしている」ケースが少なくない。特に現在の後期高齢者、その中でも80歳代後半以上の高齢者は、援助者に対してかなり深い遠慮があり負い目ももっているので直接的に「それは違う」ということを表明することができない。それを勘違いして「受容できている」「納得されている」として、自分の価値を押し付けていることがよく見られる。
受容は決してやさしいものではない。だからこそ常に自分がクライアントを受容できているのかを自問自答し、客観的に自己評価し続けていく必要がある。
3.原則3:「意図的な感情表出の原則」
意図的な感情表出
クライアントの感情表現の自由を認める考え方。特に抑圧されやすい否定的な感情や独善的な感情などを表出させることでクライアント自身の心の枷を取り払い、逆にクライアント自身が自らを取り巻く外的・内心的状況を俯瞰しやすくする事が目的。またワーカーもクライアントに対しそれが出来るように、自らの感情表現を工夫する必要がある。これは誰が、誰の感情を、意図的に表出するのかを正しく理解した行動が必要になる。
まず整理しよう。「感情を表出」するのはクライアントである。間違えてワーカーが自らの感情を表出してしまうと援助関係は成り立たなくなるので絶対に間違えてはならない。ワーカーが行うことは、クライアントが自らの感情を遠慮なく吐き出すことができるように働きかけることだ。それも「いっちゃいなさい、ほら!ほら!」とやるのではない。「そのときにあなたはどう思いましたか?どう感じましたか?」という、コミュニケーションを行うことでクライアントの「その時」の「それに対する」感情を引き出していくことをするのだ。従ってこの原則を実践するためにはコミュニケーション技術と、それを可能にするためのワーカークライアント関係が必要となる。信頼関係がなければ実践するこ とができない。
また「意図的な感情表出」はクライアントが抱えている。様々な感情を「表に出す」ことによって、クライアント自身のカタルシスをもたらすとともに、自分自身の本心に気がつくことが可能になるという効果がある。例えば介護者に対しての思いがあって、そのためにクライアントの心理状態に影響を及ぼしているような場合、コミュニケーションを通じて、クライアントの介護者に対するその思いを話すように仕向ける。そしてクライアントは自分の感情を表出することで自分が何を求めていたのか、何を考えていたのかを明確にすることができ、それに基づいて支援(それも「本心」に沿った支援、根本的なニーズに対する支援)を提供することへ結び付けていくことが可能になる。
よって、「意図的な感情表出」を求めるためには「いつ」それをしたらよいのかをしっかりと吟味して行わなければ、タイミングが早すぎても遅すぎても支援の効果は減少されてしまう。「問題や課題の中枢」に入っていくときに実施することがポイントになる。
また「意図的な感情表出」は場所や環境を選ぶ。例えば介護者に対するネガティブな感情を、介護者がいる前でする事はいくらなんでも憚れるだろう。そのため意図的な感情表出を行う面接場所や面接環境を慎重に設定する必要がある。これを間違えるとワーカーにもクライアントにも著しい損害を与えることになる。
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意図的な感情表出はそれを行った結果、クライアントの心の中にあった感情を表出するだけでクライアントが気楽になるという側面もある。それ故にワーカーは相談面接そのものが支援の一つであるという自覚を持つと同時に、専門知識と技術に裏付けられた傾聴とコミュニケーションの展開を図り、サポーティブな係りをしていかなければいけなくなる。そのためワーカーは慎重に面接を進め、相互の信頼関係の深まりと、クライアントのアセスメントを進めていき、核心部分へ入り込んでいく場面を確認して実施することが求められる。
意図的な感情表出はワーカーが実施するうえでもっとも難しい援助原則である。それゆえに面接のたびに自己評価を行い、これでよかったのかを振り返って実践力を高めていくことが必要となっている。
4.原則4:「統制された情緒的関与の原則」
統制された情緒的関与
ワーカー自身がクライアント自身の感情に呑み込まれないようにする考え方。クライアントを正確にかつ問題無くケース解決に導くため「ワーカー自身がクライアントの心を理解し、自らの感情を統制して接していく事」を要求する考え方。これは援助者であるワーカー自身が、自分自身をいかに客観視できるかという事である。
クライアントは様々な困難性を抱え、そしてその困難性が作り上げられてくる過程には様々な状況が存在している。それは時には本当に大変なことも含まれてきて、援助者は人間としてそのような環境や状況に置かれたクライアントに同情し、時には涙することもある。
しかし援助者であるワーカーはクライアントの生活歴や生活環境に対して大変な状況であったことに対して、そしてその中で生活してきた大変さなどの状況に対して「共感」的に関わっていくことは必要ではあるが、それに対して同情したり入れ込んだり、またはクライアントとワーカーと同一視して一緒に敵対したりしてはいけない。そうすることで本来援助者は第三者として客観的なかかわりをしていくことが求められているのにもかかわらずそれが出来ずに、利用者と一緒の状態になってしまって、利用者に必要な支援が出来なくなるのだ。
統制された情緒とは、ワーカー自身が自らの情緒面を常に適正な関係、すなわち相談援助の専門職として必要な状況、を維持していくように自らを客観視し、状況を自己観察・自己評価して、適切な「距離」を保つようにしていくことである。
これを図式化してみたほうが分かりやすいのかもしれない。
ワーカーとクライアントだ。この両者の間には「専門的援助関係」という線分が引かれる。三角形の頂点には「もう一人のワーカー」が置かれる。これは実際には存在しないので「バーチャル」の自分自身だ。この「もう一人の自分」が常に実際の自分自身とクライアント、そして実際の支援の状況を常に客観的に観察をし、その結果適正な関係性や距離感を保っているかを確認し、保てていない場合には修正するようにしていくことを意味している。
ここで言う距離感は「物理的距離感」ではなく「心理的距離感」を意味している。例えばクライアントの中には援助者に対して依存的になるケースは少なくない。このようなクライアントと接している場合、距離が近すぎれば依存されて振り回される結果となり、距離が離れすぎていれば信頼関係が薄くなってしまう。だから距離感を常に確認し、クライアントの依存を減らし自立性を高めつつもそれが相互信頼関係に裏付けられた活動になるように、自分自身で距離の調節をしていくことを求めている。
これを行うためにワーカーにはまず援助とは何かをしっかり理解する必要がある。時折「何でもしてあげる」ことが支援だと勘違いしている援助者がいる。それは「余計なお世話」である。クライアントが自分の保有する能力を活用し、また活用していかれるように支援するとともに、活用できる能力を高めていくことが支援であり、そのようにしてもなお遂行不可能な部分を補っていくことが支援である。この理解の上にクライアントの心理状態を把握し、クライアント自身が課題の解決のために積極的に働くように支援していくことがワーカーに求められている支援になる。
このような援助を展開していくプロセスの中で、常に自分とクライアントの距離感、支援の展開状況、それによるクライアントの心理状況を把握し、適切な支援が展開できるような状況に修正を加えていく。その中で自分自身がどのような気持ちでクライアントと接しているのかを見極めて、適切な関係性になるように自ら修正していくことが「統制された情緒的関与」をしているという事になる。
このような行動をする事が「統制された情緒的関与」を行うことになるので、その根幹には受容が必要となる。クライアントを受容できなければクライアントの示す感情・行動に対していたずらに反応し、クライアントと対立し、結果的に援助関係が崩壊してより問題を複雑化してしまう。
だからこそクライアントと一緒になって泣いたり、同情して肩入れしすぎるような行動は援助者として失格な行動になる。
介護支援専門員の中には「利用者さんがかわいそうだから・・・」という言動をする人がいるが、このような人は対人援助の専門職としては失格だ。統制された情緒的関与の原則に反しているからだ。その意味でこの原則もまた正しく理解して実践することが難しいものである。しかしながらこれを実践しない限り、その援助はクライアントにとって適切な援助にはなりえないという事も忘れてはならないことだ。
5.原則5:「非審判的態度の原則」
非審判的態度
クライアントの行動や思考に対して「ワーカーは善悪を判じない」とする考え方。あくまでもワーカーは補佐であり、現実にはクライアント自身が自らのケースを解決せねばならないため、その善悪の判断もククライアント自身が行うのが理想とされる。また人間は基本的に当初において自らを否定するものは信用しないため受容の観点からも、これが要求される。当たり前のことではあるが、実は守られていない原則の一つである。
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「非審判的態度の原則」は受容を行うためには不可欠なものである。利用者の行動や思考を、ワーカー自身や娑婆の常識で善悪を判断してはいけないと言うこと。判断することなく「受け入れる」ことで受容が成り立ってくるもので、受容と非審判的態度の原則は表裏一体のものである。
従ってクライアントの行動が健康状態を維持するためには不適切なものであった場合でも「そういうことをしていると具合が悪くなるだけですよ」ということは不適切だと言うことだ。
となると援助者であるワーカーは自らの日頃の言動や価値判断基準を省みてみる必要がある。こと健康に関する状況に対しては一般常識を基にクライアントの行動や思考を「裁いている」のではないだろうか?
また「こうしなければらない」とか「こうするべきだ」という表現やかかわり方をしていないだろうか?
これらの言動は「非審判的態度の原則」に反していることになるのだ。
非審判的態度の原則が守られない=クライアントは自分の思考や価値判断基準を否定されたことになる。否定されてなおワーカーのことを信頼し続けていられるだろうか。そしてそのような気持ちになったクライアントに対してどう接していけば失った信頼が快復されるのだろう。
受容と同じように裁かない。否定しない。なぜそのような思考や行動になるのかを明らかにする。その中でどこに・どのような支援を提供していけば思考や行動を変容させていくことができるか。
そのためにもクライアントを受け入れ、ともに考えていくと言うことを名実ともにクライアントが理解することができるように接していくことが不可欠になっている。
6.原則6:「自己決定の原則」
利用者の自己決定
あくまでも自らの行動を決定するのはクライアントである、とする考え方。問題に対する解決の主体はクライアントであり、この事によってクライアントの成長と今後起こりうる同様のケースにおけるクライアント一人での解決を目指す。この原則によって、ワーカーによるクライアントへの命令的指示が否定される。
自己決定を尊重するとはどういうことなのかを考えてみる
クライアントが自己決定をするためには、様々な判断材料をワーカーは提示をして、「選ぶことができる」環境を整えなければならない。このときワーカーがこうあるべきだという価値基準に基づいて、それに沿った材料しか提供しないでおくという行動は「誘導」となって、自己決定を支援しているのではない。
自己決定を尊重した対応をするということは、クライアントが差し掛かっている「岐路」において、一方を選択して進んだ場合のプラス面やマイナス面、他方を選択して進んだ場合のプラス面やマイナス面を可能な限り提示をして、その上でクライアントが選択した結果を尊重し、選択した方向性に沿って支援をしていくことである。(図3参照)
それはたとえ選択結果がクライアントにとってマイナスに作用する選択であったとしても、その選択を尊重し、その方向性を進むことによって生じる様々な不利益を解消したり、より害の少なくなるような方法で支援をする事を意味していると同時に、様々な場面で改めて情報提供を行い、「選択しなおす」チャンスを提供するという支援を意味している。
自己決定の裏には受容・非審判的態度があり、クライアントの決定結果によって「あの人は援助者の指示を受け付けない、我侭な人だ」という感情を持ったり、そのような評価をしてはいけないと言うことでもある。
えてしてワーカーは、クライアントがワーカーの思い描いているような方向に向けて活動したり協力していかない場合、クライアントのことをマイナス評価しがちだ。時にはクライアントを困難ケースと評価することさえ見られている。しかし、その評価はクライアントの自己決定を否定し、ワーカーの価値判断基準に沿った展開を求めていることに他ならなく、その意味でワーカーの不適切な対応によって、クライアントに「困難ケース」という濡れ衣を着せている形になり、ワーカー自身がクライアントを「困難な状況にしている」ケースになる。
また自己決定を尊重すると言うことから、自己決定の結果起こったことに対してはクライアントの自己責任となる。そのためにも岐路に差し掛かった段階で進む道による長所短所をしっかりと説明し、その上で自らの意思で選択したという対応をしておかなければいけない。自らの意思ですすんだ結果のマイナスな状況と、そちらのほうへ進むように支持(示唆・誘導)されて得られたマイナスの結果とでは当然その持つ意味が変わってくる。
ワーカーはこのことを常に念頭に入れ、どのような方向に進んだらどのような状況になる可能性があるのかを常に考えておくとともに、その想定される状況(プラス面・マイナス面の両方)の「引き出し」を増やすとともに、想定される状況の正確性を高めていくための準備を重ねていくことが必要になる。
7.原則7:「秘密保持の原則」
秘密保持
クライアントの個人的情報・プライバシーは絶対に他方にもらしてはならない、とする考え方。いわゆる「個人情報保護」の原則。他方に漏れた情報が使われ方によってクライアントに害を成す可能性があるため。
これは個人情報保護法の規定よりも厳しい保護を求めていることを知っていただろうか?
秘密保持の原則によって、収集した情報を他所に洩らしてはならないということが規定される。したがってこれによって紙ベースだけでなく電子ベースの情報も他者が閲覧することが出来るような保管をしてはならないということになる。
とするとワーカーが現在係っているクライアントの情報を、同僚や上司に伝えるということも許されなくなる。でも伝えておかないと円滑な仕事や組織的機能が果たせて行かなくなるので、ワーカーは誰と・何のために・どの情報を・どのような形で「共有」、つまり「伝えていくのか」について必ず「事前」に「同意」を得ておくとともに、その同意の範囲内でしか情報提供してはならないということを規定している。
そのため事業所や施設の中でクライアントについての話をする行為。すなわち事業所内でクライアントにとってよりよい支援をするために検討させていただくことがあるという同意を得ていれば問題にはなりにくいのだが、そうでなければこのような行為は大問題に発展する可能性がある。ましてやクライアントの噂などもっての他ということだ。このようなことは案外目にする機会が多いので、秘密保持の原則に反している行為が頻回に見られるということだ。
また秘密保持の原則は「情報収集」に対してもしてはならないことを求めている。
それは、誰から・何のために・どのような情報を・どのような方法で・いつ・どこで集めるのかについても「事前の同意」を必須として、その同意範囲内で収集しなければならないという規制だ。
例えば主治医に対して安易にクライアントの状況を確認する。
クライアントにしてみれば、自分の様々な情報を、何の断りもなく第三者が「嗅ぎまわっている」としか映らない。それこそ興信所による身辺調査と同じものになる。そのような「調査」をされて嬉しいと感じるか?
秘密保持の原則ではクライアントに関する全ての情報の所有権はクライアントにあり、援助者といえどもそれを勝手に侵すことは許されないということを規定している。したがって単に集めた情報の管理だけの規制ではないということをしっかりと認識して、情報の収集と集めた情報の管理を行わなくてはならないのだ。
だからこそ個人情報保護法の規定よりも厳しい対応を求めている。
8.バイステックの7原則を活用する
以上述べてきたように「バイステックの7原則」に沿って行動するということは簡単なことではない。しかしだからといって難解でどうしたらよいものかわけがわからないというものでもない。確認してみてわかるように、基本的なことをきちんとしましょう、人が人と係っていく時には当たり前のことをしようと言っているだけだ。
しかし現実的にはこの基本から逸脱した対応は珍しいことではない。逆にバイステックの7原則から一切外れていない対応をしていることのほうが希少価値があるくらいだ。なぜそうなったのか。それを考えてみたい。
一つは原則を厳密に守って対応するとかなり窮屈だ。窮屈でいるよりも「楽」なほうがいい。そういう考えに基づいた行動がある。
もう一つは「知らない」。そもそもバイステックの7原則を知らない。名前だけは聞いたことがあるが何をするのかを知らない。したがって「してはいけない」ことを平気で実行する。その結果支援が円滑に展開していかない。
先にも述べたようにバイステックの7原則に沿った行動をする事は決して難解なことではない。簡単にいえば自分がしてもらいたくないような行動や価値判断をするなと言っているだけだ。クライアントとしっかり向き合って、クライアントの立場に立って思考し行動して行けといっているだけだ。それができないということは、ワーカーの思い上がりであり、ワーカーのおごりである。「支援してあげている」という感覚が無意識の中に根強く残っていると言うことであろう。いくら口では「ワーカーとクライアントは対等な関係です」と言っても判断や思考のすべてにおいてそれが実践できていない限り、ワーカーはクライアントの目からは「対等な存在」とは映らない。それはとりもなおさずバイステッ クの7原則から逸脱した行動・判断・思考をしているからに他ならない。
だからバイステックの7原則は「行動原則」なのだ。バイステックの7原則に沿った行動をしていくことでクライアントから信頼を得ることができ、クライアントと対等な専門的援助関係が構築でき、それに基づいて適切なアセスメントを展開することができる。そしてその結果有効な支援が展開していくことが可能になる。
バイステックの7原則が明確になって1世紀以上が経過している。その間バイステックの7原則はケースワークという領域だけでなく「社会福祉援助技術」として、そして更に発展して「対人援助職全般」にわたる基本的原則として「生き残って」きた。これはとりもなおさず文字通りに「基本原則」であり、もっとも根本的な原則であるからに他ならない。しかし一方ではこれを遵守した行動が難しく、なかなか遵守した行動が難しいが故に、これを超える原理原則が出現してきていないという側面もある。
だからと言ってバイステックの7原則を「倫理的原則」だとか「道徳的原則」として評価することは間違っている。あくまでも「行動するための原則」なのだ。行動する上で守らなければいけない原則だ。原則に沿って行動していくことがクライアントとの「良好な関係」を作り・維持していくことが可能になるからだ。そしてその上に具体的な支援が乗ることになる。いわば支援の土台を作り上げていくための行動原則がバイステックの7原則なのだ。
さいごに
今回とあるところでバイステックの7原則を用いて実際の援助の解説する機会を得た。そのワーカーは実にすばらしい対応(実践)をしていて、そのことをバイステックの7原則を遵守した行動をしてきた結果であると説明した。しかしそのワーカーは「バイステックの7原則は聞いたことはあるが、何をする事なのかまでは細かくは知らない」というので本稿を起こしてみようという気持ちになった。
介護支援専門員の養成過程においてバイステックの7原則は「福祉サービス」分野の一環として基本テキストにも基本的な記述がある。しかしその内容は原則の定義を中心としたもので、実際にどのような行動を必要としているのかについての記述はない。
また、他県はどうか知らないが、少なくて長野県の場合、実務研修の後期課程の中で「相談面接技術」の講義と演習の中で「バイステックの7原則とは何をする事なのか」という講義と演習科目があって、その中で社会福祉士会メンバーが講義と演習を行って「題目だけ覚えても仕方がない。使うために何をするか」の講義と演習を行っている。しかし「半日」という短い時間の中でバイステックの7原則の全てを伝え、行動に置き換えることが可能になるような研修は不可能である。
更に、長野県の「実務従事者基礎研修」の中ではバイステックの7原則を中心にした相談面接技術の講義と演習も企画してバイステックの7原則に基づいた行動をするためにはどうすればいいかを研修してきた。
これらの活動で全てが伝えきれたものでもないし、到底これだけで理解でき、行動していく事が可能になるわけでもない。研修の不足部分を少しでも補い、良好な専門的援助関係をより短時間に構築して、より適切な支援が展開していくことができればと思っている。
さいごに本稿の中で活用しているバイステックの7原則の、各原則の定義についてはWikipediaの定義を参考にした.
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