2012年4月14日土曜日

死に関する名言集


哲学者・著名人の名言

・死を考えるのは死ぬためじゃない、生きるためなのだ。
 アンドレ・マルロー

・死は人生の終末ではない。生涯の完成である   
 マルチン・ルター

・人は死ぬ。だが死は敗北ではない。
 ヘミングウェイ

・人間は死を怖れる。それは生を愛するからである。 
 ドストエフスキー

・人間は、無意味に耐えられない。 
 ドストエフスキー

・生きているということは一つの病気である。誰もがその病気によって死ぬ。 
 ポール・モーラン

・死の恐怖は死より怖ろしい。 
 ロバート・バートン

・なぜ死を恐れるのですか。まだ死を経験した人はいないではありませんか。
 ロシアの諺

・明日でき� �ことは今日やるな。他人ができることは自分がやるな。
 ローマのジョーク

・死への絶望なしに生への愛はありえない。
 アルベール・カミュ

・生きたいと思わねばならない。そして死ぬことを知らねばならない。
 ナポレオン

・論語、孔子曰く「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。」
 (生もわからないのにどうして死がわかろう)

・人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない。
 ハイデガー

・充実した一生は、幸福な死をもたらす。
 レオナルド・ダ・ビンチ

・このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。
 レオナルド・ダ・ビンチ

・自分の 死を他人にとられてなるものか!
 フィリップ・アリエス

・他人のために暮らすのはもうたくさんだ。せめて、このわずかな余生を、みずからのために生きようではないか。
 モンテーニュ

・人生行路の目的(終点)は死である。これは我々が必ず目指さざるをえない目標である。どこで死が我々を待っているかわからない。だから、いたることころでこれを待とうではないか。  
 モンテーニュ

・われわれは死の恐怖によって生を乱し、生の苦悩によって死を乱している。
 モンテーニュ

・いかに死ぬかを教えられる人は、いかに生きるかも教えられる。
 モンテーニュ

・人間は死と不幸と無知とを癒やすことができなかったので、幸福になるためにそれらのことについて考えないことにし� ��。
 パスカル

・われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目を遮るものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである。
 パスカル

・最初の呼吸が死の始めである。
 フラー

・私達は生まれたとたん死にはじめている。
 マリニウス

・人生は一歩一歩、死に向かっている。
 コユネイル

・人生は旅行であって、死はその終焉である。
 ドライデン

・死ぬよりも、生きているほうがよっぽど辛いときが何度もある。それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。
 榎本健一

・愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに従って、死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる   
 三木清『人生論ノート』

・人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、気のつかないことがいろいろある。
 山本周五郎


バスケットボールJUCOの銀のでしょう

・すべての人々は、自分以外の人間は、みな死ぬものだと思っている  
 エドワード・ヤング

・我々が誕生を喜び、葬式を悲しむのは何故か?我々がその当人でないからだ。
 マーク・トウェイン

・死の事は考えるに及ばない。我々が手伝わなくても死は我々のことを考えてくれるから。
 シェンキヴィチ

・われわれはすべて、無意識下に、われわれ自身には決して死は起こり得ないとする、基本的な知識をもっている。
 キューブラー・ロス

・生まれてきた以上は死んでいかねばならず、生きている限りは不幸から逃れることを得ない、ということ意外に何も確実なことはない。
 クリスチアス

・生涯� �かけて学ぶべきことは、死ぬことである。
 セネカ

・太陽も死もじっと見つめることは出来ない。
 ロシュフコー

・人間的に言えば死にもよいところがある。老いに決着をつけねばならないからだ。
 ラ・ブリュイエール

・墓場は、一番安上がりの宿屋である。
 ラングストン・ヒューズ

・生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。
 ウェーバー

・死が老人にだけ訪れるというのは間違いだ。死は最初からそこにいる。
 ヘルマン・ファイフェル

・人生は夢である。死がそれを覚まさせてくれる。
 ホジヴィリ

・我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、死においては平等である。
 ロレン・ハーゲン

・人は死ぬ瞬間までも、もしかした ら助かるかもしれないという空想し得る力を与えられている。
 武者小路実篤

・「死というのはたぶん海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいがいったん中に入ってしまうと…」
 セスブロン

・死ぬことはなんでもないが、この世とお別れすることが僕には辛い。
 マルセル・パニョール

・生は死の始まりであり、生きることは死ぬためなのである。死は終結であると同時に開始であり、別離であると同時に近しい結びつきである。
 ノヴァーリス

・もし一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その人の一生には意味があったのである。
 ドイツ哲学者アルフレッド・デルプ神父

・人生はほんのに一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一� ��である。   シラー

・死に至る病とは、絶望のことである。
 キエルケゴール

・哲学とは死のリハーサルである。
 ソクラテス 

・過去と将来に支えられて現在が成立する。
 ハイデガー

・命長ければ、恥多し。
 荘子

・バカに不安なし
 ゲーテ

・自己の存在と意味は他者によって与えられる。
 R.D.レイン 

・人間は意味を求める動物である。この解答を得た人は、どんな辛苦にも耐えられるが、解答を得られない人はその未来を失い内的に崩壊してしまう。
 フランクル

・「悟り」といふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた
 正岡子規

・すべての人間は生まれつき、知ることを欲する。
 アリストテレス

・死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
 映画「ライムライト」より

・今年死ぬ者は、来年は死なずに済む。
 シェイクスピア


*いつ、なぜインターネットは*を開始しました

・人は誰しも、一人で生き、一人で死ぬものである。
 ヤコブセン

・天国はすごくいいところらしい。だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから・・・
 作者不明

その他、作者不明、セミナーや書籍からのうる覚えの抜粋。

・自分の終末のあるがままの姿を受け入れると思っていても、あるべき姿を追ってしまう。

・パスカルの賭け…フランスの科学者で宗教思想家であったパスカルは、死後の生命を信じるか信じないかを賭けとみなすことできると言っている。もし、人が死後の生命の存在を信じていたのに、実はそれが存在しなかったとしても、別に損したことにはならない。しかし、死後の生命が� ��在するにもかかわらず、それを無視して信じなかったために、手に入れ損なったとしたらもう取り返しがつかない。つまり

「信じれば全てを手に入れることができ、そのことで失うものは何も無いんだから、死後の永遠の生命を信じる決断の方に賭けるべきだ」というのがパスカルの結論である。
 アルフォンス・デーケン

・来世信仰はあらゆる民族、文化、時代を超えて信じられてきた。これらの共通点をみず、蓋然性を一切無視して、死後の生命の存在を否定するのは非理性的な態度である。

・死を看取った経験がある人は、あまり死を怖がらない。

・自分の死は次に死ぬものに対してよい教育になる。

・「よりよく生きる」ことが死の恐怖を免れる最良の方法である。

・日本社会はイエスかノーか、白黒をハッキリせずナァナァの灰色社会だったけど、死に至る数ヶ月は本人が決めることを決め、自分の運命を人任せにしてはいけない。以下6つまで著書『死に方のコツ1・2』高柳和江氏より

・「病気になってから不安でしょうがないの」と口に出せた方が元気になる。

・死んだらどうなるかを考え るより、死ぬまでに何をするのかが大事

・身を縮めて悩んでいても、楽しく笑っていても同じように時間はすぎていく。だったらやれるだけのことをやったらいい。そのためには、やりたいと思ったことはとにかく口に出すことだ。

・死は終わりではなく、別れのとき

・死は自然なものだ。毎日一生懸命生きなきゃと思うもよし、世の中そんなものよと達観するもよし。 

・死は魂の変容である

・死は人格が完成したときに訪れる

・人は死ぬことは避けられないが、死に方はある程度選べる。

・私たちはガンになるかならないかを自分自身でコントロールすることはできないが、もしガンとわかったら、これにどう対応するかは、自分自身で決めることができる。(ジョン・ウェイン癌研究所)

・� �後の生命の存在を厳密に証明することは不可能。死で全てが終わってしまうことも証明不可能。

・死は境でも点でもなく「分布」である。

・死は生と対極にあるのではなく表裏一体である。

・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。
 村上春樹

・「今をよく生きる」ことが哲学の賢人に共通する言葉。ソクラテスも孔子にもあてはまる。

・死を自覚することによって生の味わいは深くなる。

・人生の目的とするもの(死生観や成功イメージ)は、生きるための支えになる。

・死は永遠の解放、安らぎの訪れ。


公立学校は、学習障害を認識することを拒否

・生とは自分が選んできた人生であり、試験問題のごとく思い通りにならない。人生最後の試験問題とは死に方であり、周りの人々に大いに感謝することである。

・死は終局ではなく、新たな人生の始まりであると考えること。
 書籍『生きがいの本質』より

・極楽までの旅にしても出発までの準備を含めて楽しまなきゃ損である。

・死を視る事、帰するが如し 死ぬことを家に帰ることのように考えること。死に臨んで泰然として恐れない様子。
(日本語大辞典:講談社)

・自己表現の手段を奪われると、人間はがっくりと気力を失ってしまうものなのだ。

・愛の対象を持つと死への免疫力が高まる。

・仏様の 国へ行って先に逝った身内や友人と会う。その時恥ずかしくないように毎日を一生懸命に生きる。美しい思い出というお土産をもって仏様の国に行きたいからそのお土産を作るために生きるのである。
 ひろさちや

・自分の役割を意識し、それらを多くの人のために使う。すべては神やほとけから預かったものですから。

エンディングプランナーの見解

・感謝上手は喜び上手、喜び上手は受け入れ上手。

・人生とは自分にとって都合のよい選択肢をいくつ作れるかにかかっている。

・自分の希望と不安をどこにどのくらい持っているかで死生観が変わる。

・あなたが不安や希望を持つのは今のこと?死ぬ前?それとも死後のこと?

・人はあらゆる「欲望がなくなった時」死といえるのではないか?

・雨が痛みだとしたら、海は死である。

・終末期における『妥協』という言葉は「身の丈の受け入れ」「自己責任のある選択」のことである。

・人生最大のやり残し感とは、「自己表現」ができていないことである。

・死とは人生最期の自己表現の場である。

死に関する詩、物語など

・世の中が平和でも、戦争がなくても人は死にます。必ず死にます。
その時に生まれてきてよかった、生きてきてよかったと思いながら、死ぬことができるでしょうか?そう思って死ぬことを大往生といいます。

永六輔 書籍『大往生』より

・電車の窓の外は
 光にみち
 喜びにみち
 いきいきといきづいている
 この世ともうお別れかとおもうと
 見なれた景色が
 急に新鮮に見えてきた
 この世が
 人間も自然も
 幸福にみちみちている
 だのに私は死なねばならぬ
 だのにこの世は実にしあわせそうだ
 それが私の悲しみを慰めてくれる
 私の胸に感動があふれ
 棟がつまって涙がでそうになる
・・・・・・・・・・・・・・・・・
高見順『死の淵より』より

・誰でもみんな、本当にこの生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないのではなくて、死の近いことを忘れているのだ。しかし、もしまた、生死というような差別の相に� �われないと言う人があるなら、その人は真の道理を悟り得た人と言っていい
吉田兼好


それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず、一生すぎやすし。
いまにいたってたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
 されば朝には紅顔あって夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそおいを喪いぬるときは、六親眷属あつまってなげきななしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事なれねばとて、野外にお� �って夜半のけむりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというもなかなかおろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。
あなかしこ。あなかしこ。

蓮如上人「御文章五帖目十六通」

居心地とは認められていることである
居心地とは許されていることである
居心地とは攻撃されないことである
居心地とは役割があることである
居心地とは瞬間的なことである
居心地とは自分中心なことである
居心地とは、居場所、つながり、支えがあって成り立っている 
                  青木和広「死ぬ前こそ居心地よく」

セミの幼虫が土の中にいる時に、仲間たちは「この時期になると皆、地上に行ってしまい戻ってきた奴はいないよね。でも俺らは仲がいいから、誰かが必ずどうなってしまうのか教えるようにしようよ」と提案し、合意していました。
ある時、あるセミの幼虫君にお迎えが来るかのようなパワーに引き出され、地上に出ると仲間の抜け殻があ� ��ました。不思議と怖いと感じずに自分もあのようになるのだと直感したのです。
誰もが通る移り変わりなのだと、セミは納得して抜け殻を残し、日の出を待ちました。清々しい朝の始まりです。このことを地下に仲間にも教えようと、セミは今日も必死に鳴いています。必死に鳴いて、やがて土に還っていくのでした。                    おしまい
                          青木和広作

※どれか一つでもあなたの心の支えとなりますように…。



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